デジタルトイボックス株式会社

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アキラボーイの歴史

1979年

  • 3月9日 大阪府東大阪市瓢箪山にて生誕。

1981年

  • 東京タワーに登る。(アキラボーイ最古の記憶。当時2歳。)

1984年

  • 大阪市東住吉区に引っ越す。

1989年

  • 四コマ漫画にハマり、四コマ漫画を描くようになる。

1990年

  • ニコニコしてたせいでいじめっ子に目をつけられいじめられる様になる。
  • ただ繰り返しのイメジにより怒りが爆発していじめっ子と殴り合いの喧嘩にまでなり、いじめを克服。

1991年

  • 3月 小学校卒業。

1993年

  • マリオペイントで自主アニメ制作をして、友達と楽しむ。
  • 4月 ニコニコしてるせいでまた新たにいじめっ子に目をつけられいじめられそうになるが、なめられてはいけないと思い、極端に強気な態度を取り続けた所、向こうが怖気付き、いじめがなくなる。

1994年

  • 3月 中学校卒業。
  • 4月 高校で急にモテ期が到来。そのせいで、何もしていないにもかかわらず、またもやいじめられる。クラスメイトからはひたすら無視を受け続け、孤立し、一人の時間が多くなり、もう一人でいいやと開き直り、漫画を読んだりゲームなどをしたりして、休み時間を過ごしていると、漫画やゲームに反応したクラスメイトに話しかけられ、少しづつ友達が増えていじめを克服w

1995年

  • 阪神淡路大震災を経験。
  • 器械体操部入部。後にキャプテンに任命される。あだ名はクルクル空中回転するので「仮面ライダー」。

1996年

  • オリジナルゲーム制作ゲーム「デザエモン」でオリジナルシューティングゲームを作り、友達にアホな作品を見せて楽しむ毎日。

1997年

  • 3月 高校卒業。しかし大学受験に失敗し、浪人生に。
  • 8月 進路を思い直し、芸術系大学の進学を目指す。

1998年

  • 3月 絵が描けなかった為に美大を論文で入試。ギリギリのところで滑り込み合格。
  • 4月 成安造形大学に入学。しかし、大学入学後、絵が下手過ぎて、周りのレベルに付いて行けず悔しくて電車で一人泣いて帰る日々。
  • 6月 しかしあるとき、悪ふざけでボケまくって作った「フォト日記」という課題がクラスで最大評価を得て、「アート=お笑い」でもいいんだと思い、発想が広がり自信をつかむ。
  • その時に先生が言った一言「この子は人を楽しませる才能がある。」という言葉が、自分の軸になり現在の原型となる。

1999年

  • 奇抜なアイデアで学内での自分の作品の評価が高まる。
  • そしてこの時に、人生初の映像コント作品を制作する。これがさらに学内での評価を高める。
  • この時の先生にもらった名言「松田くんは作品が面白いというよりも、松田くん自体がおもしろいからパフォーマンスをした方がいい。」(笑)という言葉をもらい、これも現在の原型となる。
  • さらに、この頃に授業中に描いていた落書きの中に、「タヌキチくん」の原型が出来上がる。

2000年

  • ひげ剃りでバイクを操縦する作品「無リアルコントローラー」で初の学外での作品出品。NHK BS-1デジタルスタジアムに入選する。しかし、完成度が低く落選。
  • 懲りずにバカのミニゲーム集「バカメディア」でまたもやNHK BS-1デジタルスタジアムに入選。二度の入選を果たすが、共に落選。この時人生でテレビ初出演を果たすが緊張で顔面が麻痺していた(笑)

2001年

  • 11月 悔しくて再度デジスタに挑戦。リアル格闘ゲーム機「グリアウーナ」で見事入選し、念願の入賞(2002年デジスタベストセレクション)を果たす。
  • この時に1000人の前でパフォーマンスを披露。番組に露出した事で作品が世間でも高い評価を得る。
  • このグリアウーナが、おそらく世界で一番始めに誕生した、映像スクリーンの前に立ってパフォーマンスする作品の始まりであり、アキラボーイが映像芸のパイオニアと呼ばれるゆえんである。

2002年

  • 2月 大学の卒業制作でも入賞を果たす。
  • この勢いで作品を吉本興業に持ち込むが、扱い方がわからないと言われ、デザインの仕事ならあるよという事で、とりあえず吉本興行のデザイン仕事の受注を始める。
  • 3月 大学卒業後はデザイナー兼アーティストとして活動する。
  • 「グリアウーナ」がDIVAデジタルアートコンテスト最優秀賞を受賞。
  • 卒業制作で作った闘気体感装置「身・外・闘・機」がまたもやデジスタで入賞。番組オファーもたびたび。番組ではもっと出演回数の多いアーティストとなる。

2004年

  • 4月 大阪アニメーション学院にて講師を受任。

2005年

  • 日清製粉お好み焼き粉、たこ焼き粉のイメージキャラクターのコンペで勝ち、キャラクター(このみちゃん、タッキーくん)が採用される。
  • 順風満々と見えたが徐々にデザイナーの仕事が忙しくなるに連れてアーティスト活動が激減する。この頃収入も上がり、初めての一人暮らし。
  • 3月 テレビ番組のOPCGアニメ制作や、大手企業のデザイン物など、大きな仕事をこなすようになるが、アーティストとしての活動がなくなり、このままではダメだと考え、デザイナーの仕事を捨て、東京に上京する。
  • アーティスト活動再開。「MCTPモバイルコンテスト2005」大阪府知事賞一般の部モバイルアイデア部門賞受賞。
  • 11月 しかし芸術分野での活動が伸び悩み、悩んだあげく、お笑い芸人になる事を決断。
  • 当時空前のブームだったエンタの神様への出演を目標にする。
  • ドラゴンボールのベジータと漫才をするアニメ漫才を制作し始めるがいまいちネタ作りが進まず断念。
  • 12月 いろいろ考えたあげく、ネタのオリジナル性を高めた「カラクリアニメーション(後にこのネタであらびき団に出演)」が完成する。

2006年

  • 1月 ワタナベエンターテイメントのネタ見せに参加し、目に留めてもらう。しかし、ネタは完璧だが、芸人としての腕が足りないと言われ、しばらく修行期間に入る。
  • 6月 しばらくして念願の初舞台を踏む。
  • 7月 この頃、オリジナリティよりもネタにお笑い色を付けた方が良いと考え、アニメ漫才の制作を復活。タヌキチくんとの掛け合いで作り直し、現在のアニメ漫才が完成。評価が高まる。
  • 11月 タヌキチくんとの「アニメ漫才」をデジスタに出品。見事、入選、入賞(2006年デジスタベストセレクション)を果たす。この時にお笑い芸人として、テレビ初出演を果たす。デビューして半年のこと。
  • 12月 そしてデジタルアートフェスティバル東京というイベントで初の単独ライブ「アキラボーイライブ2006」を行う。この時に作った、こちらも初のDVD「アキラボーイライブ2006」がイベントでのトップセールスを記録。

2007年

  • 2月 そしてついに念願だったエンタの神様からのオファーが届く。
  • 8月 サマーソニックなど大きなイベントへの出演が増える。
  • 9月 そして初めてエンタの神様初出演。デビューして約一年。この時に知名度が一気に上がり、ホームページのアクセスも普段の数十倍に膨れ上がる。
  • 10月 しかし、ネタの制作時間の問題で続けざまに番組出演する事が困難でブレイク時期を逃し、少し伸び悩む。

2008年

  • 1月 アジアデジタルアート大賞2007で「イヌスケの下着泥棒大捜査線」が審査員特別賞を受賞。
  • 3月 ゲームレコードGP初出演。初回にツインビー王者に輝く。
  • 6月 しばらく伸び悩みエンタ以外の番組出演を求めて、芸能事務所RUFに所属する。
  • 11月 あらびき団初出演。
  • 12月 ローソンでのキャラクターグッズ販売展開(アキラボーイカレンダーの販売)。

2009年

  • 5月 初の大型単独ライブ「少年十色」を開催。満員御礼で無事に終える。
  • 6月 しかし細かなテレビ出演や営業などはあったが、完全に伸び悩み、スランプに…。収入も激減。
  • 11月 天才てれびくんMAXビットワールド初出演。
  • 12月 この頃、「デジタルペットタヌキチくん」が完成。エンタなど様々な番組に持ち込み出演。iPadネタの原型と言える作品。

2010年

  • エンタの神様が終了し、お笑いブーム終焉。
  • 6月 芸能事務所RUFを辞め独立を決断。
  • 6月 iPadアプリなど、独自コンテンツ制作を強めて行く。
  • 8月 この頃からアーティストとしての仕事も増える。アートコンテスト審査員など。
  • 11月 NHK「デジスタ・ティーンズ」特認教授として登場。

2011年

  • 1月 いろいろ今後の進路を考え決断。アキラボーイデジタルプロダクションを設立。
  • 2月 ゲームレコードGPでファミコンチャレンジ最多冠記録を樹立(18冠王)。2ndシーズングランドチャンピョンに輝く。
  • 3月 東日本大震災の影響をもろに受けてタレント活動一時中断。その間にサイト運営、デジタルコンテンツプロデュース事業など、事業拡大。しばらくしてタレント活動を再開する。
  • 6月 そして現在に至る。